おじいちゃんと銭湯 関本 明子
今は亡き祖父との思い出を語るに当り銭湯の存在なくして話は進まないだろう。
私が小学校に上がる前から、祖父はよく私を銭湯につれだした。家では亭主関白で偉そうにしていた祖父も、私の前では誰よりも優しく、甘くなる人であった。そんな祖父のまた違う面を見せてくれたのが銭湯である。
銭湯での祖父は家でのあの大きな態度で、しかめっ顔を感じさせるどころか、穏やかで優しそうで見るからに善人といわんばかりの別人になっていた。(ここまで大げさに書くと家での祖父は悪人のようであるのですが・・・)ともかく別人の祖父は銭湯仲間と共に楽しそうに銭湯での時間を楽しみ有意義な時間をすごしていた。もちろん私に対しても普段に増して優しくめんどうをみてくれた。お湯に入るときも熱くって我慢できず、私は祖父の体にかけ登りひーひーいって涙ぐんでいた。祖父の体は私の爪痕がのこっていたにもかかわらず優しい笑顔であった。数をまだうまくかぞえられない私と一緒に茹でたこになるまでつき合ってくれた祖父、家では何もしないのに私の体を全部きれいに洗ってくれ拭いてくれた祖父、私がちゃんと服を着れるまで根気よく待ち、ご褒美として今は見かけない小瓶に入った「マミー」を買ってくれた祖父が私はすごく好きであった。他にも孫がいたのに、特別私を可愛がりいろんな所へ連れていってくれた祖父を思い出させてくれる場所、それが銭湯である。
今は、他県の大学に通っている私も、富山県に帰省した際は必ず銭湯に足が向かう。銭湯には家で味わうことのできない家族の温かさがあり、また人情がある。そして日々薄れゆく祖父の記憶が鮮明に甦る唯一の場所である。そんな銭湯を私は一生大切に思いたい。