日本人の心、銭湯 本田 斎
私は、今年で21歳になるが、銭湯に初めて出会ったのは、小学校五年の頃の事である。特に理由もなく友達と「銭湯に行こう」と言って行ったのが始まりである。
初めて行く銭湯で私は、その大きな湯船につかった時の気持ち良さ、満足感を今でも憶えている。こんな気持ちが高ぶってか、この日一度風呂から上がって着替えたものの、あまりの気持ち良さにもう一度風呂に入ったというエピソードもある。その後私は、銭湯の魅力にみせられ銭湯のとりこになっていったのである。
さて、21歳になる私は、銭湯に心を打たれて以来、気の合う友人と銭湯巡りをするようになった。銭湯巡りをして様々な銭湯へ行って多くの人と出会い、そして色々な湯につかって思ったことがある。それは、銭湯こそ日本人の心であると私は、思うようなってきた。湯につかって思い切り足を伸ばして目を閉じ、ハァーっと息を吐く。
誰もが一日の疲れや悩みを全て忘れ、気持ち良い、満足幸せといった顔をしている。まさしく銭湯は日本人の心にやすらぎを与えてくれるものだと思う。しかしながらこんなやすらぎの場でもある銭湯でもやはりマナーの悪さが最近目立つように思える。私か小学生の頃といってもたかが十年前だが、湯船にタオルを入れれば叱られ水を入れてぬるくすれば叱られ、お湯や水を出しっぱなしにして体を洗えば叱られるそんな時代であった。ところが最近では、銭湯といえばまるで自分の家のように自分勝手に行動する人達が多く残念なことである。集団生活のルールとマナーを守れない人がいると気分の悪いものである。銭湯こそ日本人の心。銭湯にやすらぎや癒しを求めて来る人は多いはず。銭湯に来る一人一人がルールやマナーを守って行動すればそこに人情は生まれ、誰もが満足して入浴でき、真のゆすらぎを得ることができると思う。日本人の心なのだから。